100%な朝を迎える方法

平凡な毎日の何気ない出来事を切り取っていく

「憩い」


このご時世で
駅前のたばこ屋にある喫煙コーナー
愛煙家にはとても助かる

出勤前に一服
今日もだるいなと毎朝会う見知らぬ同志と
心を交わし

退社後も電車に乗る前に
そこで立ち止まっては
会社の同僚と出くわし今日の労をねぎらいあう

結構遅くまで営業しているので
仕事がかなり遅くなったある日
店番をしているおばさんに聞いたら
終電まで開けているとのこと
へぇ、っと感嘆の声を上げてみせた

タバコが切れそうになると
いつも帰りにそこで買って帰る
夫婦でやっているその店は交互に店番に入っている
3畳程度の店内にタバコがずらりと参列されていて
店に入ると奥から
いつも真っ赤な顔をして出てくるおじさんは
いつもいい感じで酔っている

では、おばさんはしっかりしているかと言うと
たまに同じように赤い顔をして対応してくる
二人で一緒にいるところを
見かけることはないけれど
なんとなくお似合いに思えた

ある夏が終わる頃
その店が暫く開かなかった
最初は珍しく長期の休みかな、程度に
思っていたけど
たまたま午後からの出勤で
その前を通った時
半開きのシャッターの中暗がりの床で
おじさんが胡座をかいて項垂れている姿を見た
いつも店内に綺麗に並んでいたタバコは
もう、ほとんどなくなっていた

その数日後
もう開かなくなった店のシャッターに
貼ってあった

“30年間ありがとうございました”

かさかさに乾いたその紙は
残暑の日差しに晒されて
触るとパリパリと音をたてた

朝晩の憩いの場がなくなったことより
ちょっと
ほっこりする夫婦に会えなくなったほうが
僕は残念だった

「静寂」

かむばしく鳴き続ける蝉の声と
少しだけ涼しいそよ風が
街灯にほのかに照らされて
心地よいばかりの夏の夜
彼女は灯りのたもとに両手を差し伸べ
応えるように
彼はそのたもとの元に片手を差し出した
何も聞こえず
何もしゃべらず
ただ蝉の声だけがその周りを
かこんでいた

 

「いつまでも」

いつまでも続く日々と思っていた

父子家庭の家だった
でも、一人娘との仲は極めて良かった
もういい歳なのに
季節を駆け巡って出て歩き
天気が悪ければカラオケ
腹が減ればラーメンを啜りに
見たい映画があればポップコーンを共有した

そんな彼女も高校受験を迎えた
梅雨が開けて部活が引退して
自由な時間が増えたとて
おいそれと以前のようには出かけられない

受験の支援をしつつ
お金を貯め続ける
受験が終わったらあそこに連れて行こう
この前言っていた飯を食べに行こう
めいっぱい遊ぼうか
カレンダーを見て
卒業後次の始業までの休みの取り方を計画する
指折り数えて少しワクワクもして待っていた

そんな冬が終わった
良くも悪くも受験は終わり
彼女は卒業した
ああ、そういうことか
いくつかの試練をくぐり抜けて
彼女はまた少し大人になっていたことに

やっと気がついた

「夏の檻」

仕事をさぼり
建物の影に隠れて一服している
基地から飛んできた輸送機が 
轟音を鳴らしながら過ぎ去ると
ひときわ蝉の声が騒がしくなった 
まとわる湿気にため息ついては
シャドーピッチングを繰り返す
見えないボールは
ビルに切り取られた青い青い空に吸い込まれてはするりと消えた
ここは夏の檻だった

やがて雨が降るたび涼しくなって
時間ばかりが淡々と流れた
満足できる自分と許せない自分が足踏みしている
ナーバスなのはきっと熱があるから
憂鬱なのはきっと鼻が詰まっているから

そう言い訳しながら
次はきっと負けないようにと
ちょっとだけでも進めるようにと

明日の自分にまた期待している

「後ろ姿」

横浜から二、三駅先の郊外に
彼の一番最初に住んだ家がある
写真でしか見たことがない
小さなボロいアパートで
生後一年も住んでいなかったから
もちろん覚えているわけでもない

二十歳を間近に控えた彼は
原点を見にいってみようと思う、と
母に伝え駅からアパートまでの
のりを地図で描いてもらって
その地に向かった

本当は原点回帰などではなく
死に場所を探しに向かったのだ

もう疲れてしまった
いろいろなことに

そんな心を映すように
横浜を過ぎる頃小雨が降りだし
目的の駅に着いた時には
傘を差すほどではないが
小雨混じりのどんよりとした雲が
広がっていて
心をさらに塞いでいった

探すのに苦慮すると
予想していたアパートは
案外すんなりと見つかって
古くともまだそこに存在していた
掠れた表札に手を滑らすと
薄く付着していた汚れが手につく
二階の階段に近い方の角部屋
誰かが住んでいるようだった

写真で見たアパートの玄関口の
車道に出て道の先を見ると
遠くからベビーカーを押した
若い夫婦がこっちに歩いてくる
両親に押されるベビーカーの中で
覚えているはずのない街並みが
彼の胸に蘇る
その子にかけた期待、希望、喜び

残像が重なり彼の横を
二十年前の三人が通り過ぎた

そしてそう思う
もう少し、頑張れるはずだ、って
若い夫婦がとうに過ぎ去って
降りていく坂の向こうに
ほのかに虹がかかってみえた

「唐揚げ」

カレーに唐揚げが乗っていた

学生の頃
片道2時間半の通学電車に
ほぼ毎日朝から夜までの授業
日曜に入るバイトだけが
唯一の資金源だったあの日々
その雀の泪もほとほと消える
そして昼メシに捻出する金が特に
なかったことを覚えている

ある日は仲間の輪から静かに離れ
家で作ってきたおにぎりを一人
図書館のロビーで食べた
ある日は猛暑の昼下がりに
昼食後の飲料を求め硬貨を握りしめて
自販機の前で数十分ウロウロした
そんな彼がバイト代が出た後の
懐のまだ暖かい時は学食で昼食をとった
よく食べたのが220円の
油あげの乗っているだけのきつねうどんと
250円のカレーライス
50円の唐揚げ
カレーへの憧れのトッピングは
その50円分の贅沢は
どうしてもあげられなかった
結局 在学中に手が届くことはなかった

あれからずいぶんと月日が経って
社会人となりそんなもろもろのことなど
すっかり忘れていたのに 
不意に、夕食に当時の憧れが現れた

まじまじと眺めたあと
かるく絡めて口に含んだ
いかにも冷凍食品らしい味だった
あの時の唐揚げは
どんな味がしたんだろう
きっと後悔も不安も憎悪も惨めさも
その香ばしさに混ぜられていただろうか
こんなことを考えながら
この味気ない油物を
一気に噛み潰して飲み込んだ