100%な朝を迎える方法

平凡な毎日の何気ない出来事を切り取っていく

「ソファー」

自分はちっとも悪くないって
そう、思っていた

妻と話をしなくなってから
もう一年以上も経つ
玄関で会っても
階段ですれ違っても
お互い目を合わすこともない
私は家族のためにただ金を運び
彼女は家庭のためにただ家事をした

リビングにはソファーが据えてあって
そこに彼女はいつも座って
韓流ドラマを見、携帯ゲームをやる
私がそこに座ることはない

そのソファーのこと
まだ会話が成立していた時
リビングにソファーを買いたいと
彼女が言い出した
仕事が上手くいっていなかった私は
当時ひどく心が荒んでいて
家具屋であれはどうか、これはどうかと
いちいち聞いてくる彼女にひどくイラついて
何だっていいよ、好きなものを買えよって
一人でふらふら
歩いていってしまったことを思い出す

どれくらい前の出来事だったろうかと指折る
それ以来ぶりに
ベッドを見に行きたいという娘と二人で
その時と同じ家具屋に行った

日曜日の昼下がりに
沢山の家族がいて
沢山の会話が飛び交っていて
沢山の笑顔が咲いていた
何だか居心地が悪かった

その日の夜
皆が寝静まったリビングで
薄明かりの中そっと座ってみる
いつも座っている場所の彼女の窪み
小さな小さな積み重ねが
戻ることのない弾力のように

「高熱」

すごく居心地の悪い場所で
とても悪い気分でイライラしながら
ずっとずっと
書類を数えている
朝起きると
とうに起床の時間を過ぎていて
慌てて身支度をし始めている
何か訳のわからないものに
急き立てられて
複雑な作業を繰り返している

ひどい寝汗と絶え間ない頭痛
身体中の痛みにごく浅い眠りからも
目を覚まして

起きることすらできなくて
その思考のループを数日間耐え続けた
そんな長い闇が明けた時
今までのあらゆる日常の悩みが
すごく馬鹿らしくなってしまった

「ことばの魔法」

あの時褒めてくれて嬉しかった

と、今日会社を辞める彼女が、最後の挨拶に来て
僕にそう言って去っていった

お客さんと接している姿を見て僕は
ただ単純に純粋に彼女のその応対の上手さに
感銘を受けて、思わず
”応対が上手くなりましたね”
と言ったのだ
それはもう今から2年も前の出来事だった

僕はそんな何気なく言った言葉を
しかもそんなに前の事をよく覚えていたなと
驚ろいた
そして同時に
やっぱり先輩や上司から言われる言葉って
嬉しいもんなのかな って思った

僕らは魔法使いではない
ちちんぷいぷいで欲しいものは出てこないし
願いだって叶わないさ
でもついて出るメッセージで
人を嬉しくさせたり、奮い立たせたり、
楽しくさせたり、心を動かさせたり
あっさりできるのかもしれないって
その時改めて思った

言葉の魔法ってものを

僕はそれ以来信じている

「救命」

暗闇を掻き分けて救急車が到着する

酩酊状態で1m下のコンクリート
近所の旦那が頭から落ちたのだ
どこからかかなりの出血があって 
一時車内で心肺停止状態になった

何てことない幼稚園の
ママさん仲間の宅飲み会だった
3時位から飲んでいたらしく
嫁に誘われて仕事終わりに
到着した8時頃には
各々の主人も含めた皆がそろって
泥酔状態の中での出来事 

ロクに飲みきれなかった彼と
若干意識のある数人とで
事の重大さに慌て彼と
へべれけの奥さんが乗り込んで
かなり遠い病院に搬送された

一晩明けて夕方には
ひどく顔を腫らしながら
庭先でタバコを吸っている
旦那を見かけた 
決して良好とは言えずとも
生きていてよかったと
安堵した

もしかしたら人は
簡単に死んでしまうのではないだろうか
日常の何てことない出来事に
死は潜んでいて
ほんのちょっとした弾みで姿をみせて
その人の人生や周りの積み重ねた
いろんな大切なものを根こそぎ
奪い取ってしまうのでは
ないだろうかって

それは彼の心をしばらく掴んで
離さなかった
死の影を目の端に捉えながら
くだらないと思っている日々を
または大切にしなければと思う日々を
相変わらず思考は行ったり来たりしているけど

とにかく私達は今日も 生きている

 

「右手のこと」

祖母が写る写真はどれも
左手で右手を包んでいる
祖母の右手は野口英世のように
指が癒着しているのだ
事情は良く知らない

はるか遠方に住んでいたから
共有できた時間は短く記憶は少ないが
その割には器用に箸を使い食事をとり
テキパキ家事をこなし
綺麗に裁縫をしていた姿を覚えている
でも写真では
どれもがそれを隠すかように写っていた

母は幼少の頃
手にしていたセルロイド製の人形が引火して
片手に酷いケロイドの火傷を負っていた
子供の頃から“おばあちゃんの手みたいだ”と
揶揄されてきた

そんな話を父と結婚する前、義理の母
祖母に話をした
その時、祖母は黙って
その手を不具な自分の手で包み込んで
ずっとなでたのだそうだ

父との今後を少しばかり悩んでいた母だったが
それで父と結婚することに決めた

そんな祖母も十数年前にすでに亡くなっている

まだ父が幼い頃の家族写真
四方が剥がれて褪せてしまった白黒写真
たまたま見つけたその一葉の写真には
まだ若い頃の祖母が
背筋をしゃんと伸ばし凛として
居住まっていた

「そそそ」

その田舎町から一時間以上かけて
それは大きな
県内随一の都市に通い始めた
そこでの人を見て
そこでの空気を吸い
そこでの匂いを
そこでの雑踏を
そんな自分に得意になって
それだけで
成長したような気になって

そして地元を見下した

そんな人間が
その先一体 どこに行けるのさ

「占い」

湯船に浸かって
ボーっと椅子の雫を眺めていた
滴れずにその場で気化してしまうかもしれない微妙な大きさの雫
この雫に自分を委ねてみる
もしこの雫が床まで滴れたら辞めることにしよう

瞬きもせずじっと息を潜める
もしこの雫が床まで滴れたら辞めることにしよう

換気扇の音だけが浴室に満ちていた
もしこの雫が床まで滴れたら辞めることにしよう

ずいぶん長い時間が経った

ああ・・
馬鹿馬鹿しさと諦めに湯槽にもたれようとした時
一滴の別の雫が椅子の上部の淵から閃光のような速さで滴り落ち 絡めとって床にたたき落とした

水面を叩き浴室に歓喜を響かせる