100%な朝を迎える方法

平凡な毎日の何気ない出来事を切り取っていく

「髪切り」

母は絶妙に器用だった
子供の頃に学校に必要だった備品
体操着や弁当などの袋類は自作だし
セーター、マフラーなどもお手なもの
趣味で作る紙粘土の壁飾りや人形などは
十分金が取れるクオリティだ

そんな母のいる家族は皆
彼女に髪を切ってもらっていた
父などは結婚してから50年ずっと
床屋や美容院に行っていない

ぼくら兄妹も子供の頃はお任せだった
ただ中学の坊主を通り過ぎ色気付いた頃
そこに翳りが見え始める
やはり素人の荒さは隠せないのだ
器用とは言えプロでは無い
そして何より彼女のこだわりがどうしても
強い
僕が希望の髪型を伝えても
果てしなく短く切られてしまう
当時の彼女は柳葉敏郎がお気に入りだった
しかも一世風靡
ギバちゃんカットはつまりは角刈りである
それでいつも喧嘩になる

そんな様を見て
妹は早々に自分の好みを求めてこの環境から
リタイヤした
万年聖子ちゃんカットにされてしまうと
危惧してのことだ
歯軋りしながら鏡を見て
それでもう、外で切ろうと決心する

ところが外で切ってもあまり変わらないのだ
それは当時の俺の激しい
人見知りと自意識過剰にあった
こんな髪をお願いしたら
鼻で笑われないだろうかとか
いちいち注文つけたら
めんどくさいと思われないだろうかとか
どう伝えたらいい感じにできるかの
そのコンセプトさえも決められず
それに上手く語言化もできず
そして何より雑談が苦痛だった
それで
いつも簡単に希望を説明して身を任す
はい、はい、を繰り返し
会話に愛想笑いを振りまいて疲れて帰ってくる

それでまた母にお願いすると
手ぐすねいひて待ってましたとばかりに
張り切って切り出す 
その様子を見て
彼女は切っていくうちにテンションが
上がってしまうのだと感づいた
切っていて気持ちよくなってしまうのだ

…後悔する

「ちょっと短くしただけやないのぉ」
後戻りできない状況で
そんな事を言われ、いつも青筋を立てながら
鏡を見てまた決心するのだ


そんな時期を繰り返しだいぶ経った今
数ヶ月に一度私は髪を切りに
1時間かけて実家に帰る
理由はそんなにカッコつける
年齢でもなくなったこと
それにかける金がもったいないと
感じてしまうこと
そして数少ない親孝行であること

帰ると母はニコニコしながら
じゅうたんを剥がし
掃除機と自慢の散髪セットを出してくる
昔から使っているヘアマットをかけられ
曲がった背中を伸ばして器用に切っていく
逐一注文して切られすぎないように
監視しながら
でもやっぱり合わせ鏡で後ろを見ると
雑だなと苦笑する

先日仕事が立て込んで
しばらく実家に帰れなかった
夏の盛りにいよいよ髪がうっとおしくなって
久しぶりに仕事帰りに職場の近くの
美容院で満足のいく髪型になって帰ってきた
もう、昔のように話すことに
苦労することなどは今はない

ただ、この忙しさが落ち着いても
髪が伸びるまでちょっと実家には帰りがたいな、
と思っている

「ザリガニ釣り」

当時、家から車で10分くらい走った場所に
これから新興住宅地として街を作ろうとする
雑草もないきれいな更地が広がっていた

そこに幅3メートル程度のザリガニを釣るには
うってつけの川が流れていて
子供の頃、父によく連れて行ってもらった

アサガオのツルでも支えるような
長くて丈夫な棒を竿にして
糸の先にスルメをつけて川に浸らすと
面白いようにザリガニが引っかかった
僕と弟はいつもバケツに山盛りの
ザリガニを持って帰ってきて
庭に設置した水槽で飼うのが楽しかった

ある日、近所の弟の友達も一緒にと
ザリガニ釣りに連れて行った
僕らはいつものように釣れまくったが
弟の友達はすぐに竿を上げてしまうので
全く釣れない
僕らがもっとじっくり川に流すんだよと
教えても待てずに凄い勢いで持ち上げてしまうのだ

釣れる喜びを父も僕も感じさせてあげたかったけど
結局弟の友達は1匹も釣れなかった
帰ってきて好きな2匹をあげるから選んでよ
って言っても遠慮してなかなか選ばない
無理矢理手頃なものを促して持って帰らせた
どちらかといえば
逡巡しているようにも感じながら

一人っ子の弟の友達の家は
なんとなく複雑だった
父親の姿はほとんど見たことがなく
母親がいつも夜に派手な服を着て出かけていく
そんな母からの醜聞を聞いて辛くなった

「復讐」

僕と親友はクラスの女子に虐められていた
明確に嫌悪をもっているようではなかったが
いじりはもう超えていた
なんと言っても僕らは不快だったのだ

そんな中2の夏休みに林間学校はあった
天候に恵まれた2泊3日の楽しいはずのイベント
僕らはやっぱりいじられ続けた
もう少しだけ精神的にも大人であれば
笑いにいなせる術もあろうがまだ成長途中の
ブヨブヨの人間の蛹たちはもう苦痛でしかなかった

最後の夜は肝試しだった
男女2人づつ4人で1つの懐中電灯を頼りに
所定の場所にある札を取って帰ってくる
あろうことか僕らの班には
主犯格の女子が1人入っていてひどく憂鬱だった

みんなはしゃぎながら
時間を置いて暗闇に入っていく
中盤で僕らの班も出発した
道は思ったよりも
段差が多く足場も悪く距離も長かった
僕らはバスケ部だった 
日頃クソほど走らされている
もう1人の女子は陸上部の中距離専門だ
ただ、主犯格の子は演劇部で運動は得意でない

少しずつ主犯格が遅れていく
ところが親友は灯りを持ってずんずん先に
行ってしまう
何度も少しゆっくり歩こうよと彼に言っても
全く聞く耳を持たなかった
はるか前方に行ってしまった親友と
すっかり見えなくなってしまった主犯格の中間で
僕と陸上部の子は途方に暮れてしまった

山の眼下の街の灯りと頼りない電灯の下
しばらく待っていると後続の班が
大泣きしている主犯格を抱えて僕らの前に現れた
真っ暗の中しゃがんで泣いていたらしい

そんな僕らがキャンプ場に戻ると
話を聞いた女子達は当然のことながら親友を
烈火の如く罵った それはすざましいものだった
一悶着がようやく収まって
僕らは男子全員が雑魚寝するコテージに入った
なんだかとっても複雑な気持ちを抱えながら

するとみんなが
ざまあみろだ、やるじゃねぇか と
次々と僕らの肩を叩いて賞賛するのだ
なんだなんだと呆気にとられていると
少し遅れて担任が入ってきて僕らの輪に入ってくる
開口一番親友をよくやったと褒め
僕には少し見習えよと頬を歪めてたしなめた

男としてお前は弱い
きっとそういうことなのだろう

「大輪の花」

仕事帰りに腹に響くような破裂音がして
駅の真上に大きな花火を見た
ああ、今日はそんな日だったなと
花火が上がっている最中で
電車に乗れるタイミングに安堵した
以前花火終わりの乗客で溢れかえった改札口に
鉢合わせて酷い目に遭ったのだ

もう暑い中
誰かと花火を見に行くこともなくなった
ましてや浴衣など
育児も終えたサラリーマン

手の離れた子供達と昔肩を並べて観た景色
花火の彩りが瞳にきらきらと映っていた

今はほとんど喋らなくなった妻
彼女とは、
あれ、
彼女とは二人で観た記憶がない

つくづくめんどくさがりやだったなと
サラリーマンは過去を振り返る
妻を喜ばすことなんかあったかな
こんな綺麗な景色をたくさん見せて
あげられたかな

足を止めて
目の前に大きく咲き開く
大輪をそんなことを考えながら
呆然と眺めた

「青臭くて」

就職したばかりの一年後輩が
上司に毎日さんざん怒られ続けて
次の春にもうしんどくて
辞めたいんですよね、って
俺に呟いた

大してキャリアも違わないのに
なんとか励ましたいと思って
ある日ふざけて喋っている終わりしなに
あらかじめ書いておいた手紙を渡した
まだ慣れてないんだから仕方がないとか
適当にやっていこうよとか
きっとそんなことを書いた
結局いなくなるのが寂しかったんだ
そして、もし心動いたとしてもこの手紙のことは
以後一切触れてくれるなと最後に記した

それから5、6年経って
どっかの飲み会の席で
酔った勢いでそいつが
「あの手紙のおかげでまだここで仕事ができるんです」って曰うのだ
もう苦笑いするしかなかった

働いて数年しか経ってない若造が先輩風吹かせて
偉そうに人生論を手紙でしたためたのだ
本当はそこで辞めていたらそいつにはもっと
いい人生があったかもしれないのに
そんなリスクをそんな責任を
お前は持つ覚悟があったのかと
当時の自分に言いたかった

でも、そいつは
職場結婚して二児をもうけ家を建て
そしてあれから10年経った今、
俺よりも出世している

まぁ、よかったのかな って

「きっかけはいつでも」

ある女性と本の話になった
今文学部の学生らしい
彼も幼少期からそこそこ本を読む
文学少年であったが
最近はどうしても選ぶ本が偏ってしまい
少し食傷気味で冒険をしてみたいと
思っていた
それでお勧めの本を彼女から聞いた

自分では経験できないことや知らない世界を
感じれるのは素敵ですよね

彼女はそう言って数冊の本を紹介してくれた
残念ながらそのどれもあまり
彼の心の琴線に触れるものではなかった

ところが彼女があの時
呟いた言葉がずっと耳に残る それで
彼の読書量はその日から如実に増えた
文学に染まっていく
それらは彼のこのドロドロした嫌な日常から
切り離して違う場所に誘ってくれるのだ

「目標を掲げよ」

ショートカットのよく似合う娘だった

似合ってるねと褒めると
小柄な身体のくせに
やたらとでかいバイクを乗るらしい

あまり詳しくないから想像もつかないよ、と言うと
とにかく持ち上げるのはかなり苦労するのだと
声を弾ませて話を続ける

週末やら休みができるとバイクに乗って
遠方まで走らせるのだそうだ
それでヘルメットを取ったり被ったりするから
髪の毛は邪魔で
だからずっとショートカットにしていると

何かに夢中になれるのは素晴らしい
そういうものがあって
それに全生活を向けるのは素敵だ

先週出かけた秘境の温泉地での出来事をしながら
刈り上げに近い後ろ髪を触っている
走っている時のスピード感とかその時の風とか
そんな話を聞きながら
自分にはそんな夢中になれるものが
無いことを残念に思う

それで何かないものだろうかと身悶えするのだ